J&H HOME(株)小野弘志です。東日本橋は曇り。今年もこの日が来ました。9.11と今では教科書にも載るNY同時多発テロの日です。当時のNYは晴天。3連休明けの火曜日で少しけだるい気持ちで朝7時前にはオフィスに入りました。前職は金融で通常7時前にオフィスに入り東京・ロンドンと打ち合わせをしてNY市場に向かいます。その日も朝から忙しく数件の取引を行って8時頃は契約書の確認も終えてゆっくり朝食を取った後でした。8:46に私のいる1WorldTradeCenterに一機目が突っ込みました。ビルは大きく揺れました。特に爆発音などは聞こえなかったと記憶しています。日本で、地震に慣れている私は足元からの揺れではない為、地震ではないと感じました。よく震度どれくらい?と質問を受けますが、東日本大震災の揺れとは比較にならないほど揺れませんでした。震度で言うと2~3位ではないでしょうか?スタッフは動揺してすぐに避難していました。25階のオフィスは電気も電話も通じていて、勿論スプリンクラーも作動せず揺れが収まると平時と変わりませんでした。私は窓側に行き外を見ると紙吹雪が舞っています。1993年に同じビルの地下駐車場で爆弾テロがありました。その記憶があったため爆弾テロではないだろうと思いました。東京に電話をするとニュースは入っておらず、気を付けるようにと助言を受けました。すると向かいのビルにいた友人から「ワートレが激しく燃えているから早く逃げろ」と言われました。周りを見るとスタッフは殆ど避難しているようです。顧客と東京に連絡を入れ避難する事を伝え避難しました。避難通路は多くの人がいました。しかしパニックはみられず、これから登ってくる消防士の為に片側を開けて整然と避難していました。誰も何が原因かはわからず避難していました。当時はスマホがなく情報が入らなかったことで精神的にも安定して避難できたのかもしれません。避難中にビルが再び揺れました。その揺れが2機目が2ワールドトレードセンターに突っ込んだと知ったのは避難してからでした。時刻は9:03分。避難してからずいぶん時間が経っていると感じましたが1期目から17分しかたっていなかったのを今調べて知りました。避難ルートはビルの地下のショッピングモールを通ってビルから1番遠い出口から出ました。その時の空の高さと青い空を忘れられません。その後は振り返らず橋を渡って自宅へ戻りました。まさか3000人超が亡くなるとは思ってもいませんでした。その後世界は変わりました。書物を読むと今のトランプ政権に続くアメリカの保守化はあの日に始まったといいます。その後もアフガニスタンやイラクで多くの人が亡くなりました。世界の秩序が動き始めたきっかけだったのかもしれません。深層は判りませんが、現在でもロシアウクライナだけでなく中東など世界で紛争は止むことがありません。21世紀は人間が飢餓・疫病・戦争を克服する世紀と言われています。我々個人のレベルでどこまで大きな問題の解決に役立つか分かりませんが、少なくとも事件を忘れず、伝え続け風化する事に抗いたいと思います。2025年9月11日