J&H HOME(株)小野弘志です。東日本橋は曇り。でも蒸し暑いです。拙宅のクーラーは水曜日頃から動きっぱなしです。皆様はいかがですか?日中社内でもクーラーをつけっぱなし、営業は暑く、それでも汗が上手く出ないと感じます。だからか社内にいても怠さを感じます。大汗かいて夏の体にしたいです。年齢の問題?認めたくありませんが、そうなのかもしれません。
7月もあっという間に中盤に入ってきました。25日には隅田川花火大会が開かれます。隅田川花火は定説では大飢饉とコレラの流行によって江戸で多くの死者が出た1732年(享保17年)、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)に遡ります。1733年7月9日(享保18年5月28日)、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされています。テレビドラマ「JIN」で取り上げられたコレラ(劇中ではコロリと言われていました。)がの法要が起源でそれを徳川吉宗が取り仕切ったと聞けば時代を感じ更にロマンを感じます。また、明治期には花火師11代目鍵屋弥兵衛が、外国から輸入された新しい薬剤を使って赤、青などの発色花火の打ち上げに成功し、また、マニラから持ち帰ったスターマインを、初めて両国川開きで打ち上げました。明治30年(1897年)8月には、見物客の重みで木橋の両国橋の欄干が落ち、多くの死傷者が出る大惨事が起き、この事故を契機に両国橋は旧橋より上流に鉄橋で架けられたといいます。別の資料では、明治の木橋は花火で欄干が落ちた結果、現在の位置より20mほど下流に鉄橋として生まれ変わったとあります。以前の両国橋は江戸時代は今より下流側にあったと言われていますので、数度場所が変わっているのですね。以前の橋が20m上流にあったとすると日本橋川のギリギリにあったのかもしれません。現在の橋は1901年(明治34年)8月に起工し、1904年(明治37年)11月14日に開通式を行った。曲弦トラス3連桁橋であり、長さ164.5m、幅24.5m、工費約30万円と記録に残っています。設計は原龍太。この橋は関東大震災では大きな損傷も無く生き残ったが、他の隅田川橋梁群の復旧工事に合わせて、震災後に現在の橋に架け替えられました。なお、この架け替え時に取り外された両国橋の橋名板が東京都復興記念館に保存されてます。東京が江戸から脈々と歴史を刻んでいる事が判ります。我々少しですが時代を受け継ぐ気概を持って今日も仕事を頑張りましょう。江戸は商人の街です。先人はきっと見てくれていると思って。2026年7月12日