J&H HOME(株)小野弘志です。東日本橋は晴れ。昨日の熊本地震、被災された方のご無事を祈念します。まだ地震の被害の全貌は判っていませんがイオンモールの爆発や熊本城の石垣の崩落など甚大な被害の映像を見るにつけ、最小限の被害を祈りつつ、いつ起こるとも判らない我々の地域が被災した際の行動についても考えさせられます。
丁度昨日、町会メンバーの逝去の話題を昼食時に同世代の町会役員とした際は、ボランティアの難しさ、作業が数人に偏っている現状で「なぜ自分だけ」という心境にならないよう、どのように考えていくべきかなどが話題になりました。イベントを開催する事が目的になっていないか?イベントを開催する際の準備段階で動けるメンバーが偏っていないか?町会が地域の防犯防災を担う事が、そもそも町会の住人の殆どが町会に参加していない状況で実現できるのか?など本質的な話題まで拡がりましたが、会の運営するイベントや会合は全てコミュニティの安心安全にある、犯罪が起こる前に地域の人々ができるだけ予兆に気づき相互に動くには事前の人間関係が出来ていないと成就できない。災害時は「自助・共助・公助」の「共助」のフェーズを担うため平時のイベントなどを通じ機材の使い方や行動マニュアルの実践が必要である。全て急には出来ない為、普段から共有できる仲間を作る事が必要不可欠で自分達のできる範囲でやり続ける事が必要、「共助」は強制できない、でも誰かがやらなければならない。という結論に至りました。
長くなりましたが、地域の安心安全は地域の人自身で守る、という事を強く思いました。マンションが増え建物が堅牢になり自治体も「地区内残留地区」に指定しています。「共助」がどの範囲で必要かはその場にならないと判らないというのが実情です。
東日本大震災の際には地域の人よりも帰宅困難者が避難所を埋め尽くしました。全員被災者の中で、「共助」、皆で助け合うはずが、自分勝手な発言や行動が目立ったといいます。家族の無事を確認したのち避難所に駆け付けた町会役員が対応の矢面に立ち、一昼夜帰宅できなかった事実を繰り返さないように思いますが、うまくいくとは思えません。私の家族はそこまでやる意味があるのか?と問いますが、この問いはどの家庭でも起こっているのだと思います。災害時、ボランティアが集まりますが、その人々を統率する組織・系統が無ければ機能しません。美しい言葉だけでは語れない難しさが「共助」にはあります。被災された熊本の方が実践されている「共助」が円滑に行われる事に勇気づけられ、また学びたいと思います。災害はいつ来るか分かりません。2026年7月29日