J&H HOME(株)小野弘志です。東日本橋は曇り。今朝は少し蒸し暑く感じますが、気温は26℃、それでも今年の夏は湿度が低く感じます。さて、昨日は晴海町会のお神輿に参加し3年に1度の「住吉神社の例大祭」に参加しました。昨日は気温は高かったものの、湿度が低く海岸沿いの佃・月島・晴海地区は湿度が低く、風も心地よい過ごしやすい1日で大量の水を浴びながら楽しい1日を過ごすことが出来ました。江戸下町文化と平成のタワマン、そして大規模開発で発展した令和のタワマン街、町の色が濃くとても楽しく興味深い巡幸でした。今年の夏は、昨年に比べ過ごしやすいと感じているのですが、調べてみると(2026年)の東京の夏は、記録的な猛暑だった近年に比べて「太平洋高気圧の勢力が一時的に弱まる」、さらに「オホーツク海高気圧からの涼しい空気(やませ)が流れ込む」という例年とは異なる気象パターンが発生しています。統計的・気象データ的に見ても「朝晩の涼しさ」や「空気の変化」がはっきりと現れている夏と言えるそうです。7月〜8月にかけて、真夏の太平洋高気圧にずっと覆われ続けるわけではなく、北から「オホーツク海高気圧」の比較的涼しくカラッとした空気が入るタイミングがあり。このため、日中に日差しで気温が上がっても、夜間から朝方にかけては熱がこもりにくく、気温が下がりやすい日周期が生まれています。例年の東京の夏は、南からの高温多湿な空気に包まれて平均湿度70%〜80%近くまで達し、夜間も全く気温が下がらない「不快日」が続きます。しかし今年は、性質の異なる空気(冷涼・比較的乾燥した空気)が周期的にぶつかり合うため、日によっては太平洋側でも湿度が低くカラッとした秋に近い空気を感じるタイミングがあるそうです。
昨日のお神輿の巡行は佃・月島・晴海エリアの拡大を感じる事が出来ました。勝どきが入らないのは、巡幸のエリアに含まれなかっただけで、湾岸エリアという意味では勝どきはアイコン的象徴であることに疑いはありません。実は東京都中央区に存する佃島エリアは昭和の時代は都心から隔離されていました。都心とのアクセスは門前仲町と佃を結ぶ「相生橋」のみでした。目の前に築地や銀座があってもぐるっと回らないと都心に出られない場所でした。そのため下町の文化が色濃く残ったのです。昭和39年に新富町の隣町湊・明石町と佃を結ぶ「佃大橋」が架かりました。月島エリアは発展しまし、倉庫街を形成しました。もんじゃストリートで有名な月島も当時もんじゃ屋さんは数件で1988年有楽町線が開業したことをきっかけに町興しでもんじゃ店が一気に増えました。時代はバブル期で多くの若者が月島を訪れ大ブームになりました。町のシンボルだった石川島播磨重工の石川島造船所は昭和54年(1979年)に閉鎖され、平成3年(1991年)に三井不動産が開発するリバーシティ21が竣工しました。タワマンブームの発祥でこの時、隅田川に「中央大橋」がかかり佃島は東京駅と2キロの地続きになりました。下町に突如とできた近代的なタワマン街は地域の分断を生みました。その当時新しく竣工した「佃小学校・中学校」での混乱は石田衣良氏の著作「4TEEN」で読むことが出来ます。バブルが弾け、固定資産税や相続税に苦しんだ中央区、当時12万人だった人口が69,000人台まで減ります。産業にも変化が起こり、倉庫街は空き地になります。川向こうの湊地区ではバブルの爪痕ともいえる虫食いの空き地が長い事放置されました。デベロッパーは権利関係を長期に渡って纏め、月島地区にマンションを建てていきます。2001年には大江戸線が開通、湾岸地域は一気に広がりを持ちます。湾岸タワマンの先駆けの東京タワーズについての小ネタです。
中央区勝どきにある超高層ツインタワーマンション「THE TOKYO TOWERS」は、もともとミサワホーム(正確には傘下のミサワホーム東京など)が社運をかけて土地を取得し、開発を進めていた一大プロジェクトでした。 しかし、着工直前の2004年末にミサワホームの経営状態が急速に悪化し、産業再生機構の支援を受ける(事実上の経営破綻)ことになってしまいます。そのため、自社での建設・事業継続を断念せざるを得なくなり、この勝どきの広大な開発用地を住友商事などの企業連合へ153億円という破格の安値で売却(譲渡)することになりました。 その後、住友商事やオリックス不動産などが引き継いで完成させたのが、現在の「THE TOKYO TOWERS」です。東京タワーズはタワマンの先駆として現在の湾岸地区のアイコンになっています。記憶が確かなら当時の販売額はタワマンでありながら、坪200万円台だったと記憶しています。現在は1000万円を超えるとも言われ不動産価格の盛衰に思いを馳せてしまいます。